2013年8月26日月曜日

15年前のフランス旅行 (終)



● リヨンまでひとり旅 ●

駅っていうところは、なんというか…
自分のコトバ(つまり日本語ってこと)を持ってしても時に不安な場所と思うのですが、
それが通じないしゃべれない のフランス語で、スリ多発地帯とくればもう
「あたし倒れちゃうかも」
というくらいにキンチョーでドキンドキンの心臓、ふるえるひざ。
でありました。ホントに。

映画「ニキータ」のロケ地のひとつ、
レストラン「ル・トラン・ブルー」を外から眺める。
中を覗きたかったです。

そんなわけで、ガル・ド・リヨン(リヨン駅…といってもパリにあるんですよ)
から始まった、私のリヨン “まで” ひとり旅。

いつかやってみたいと思っていたヨーロッパ列車の旅。
しかも目的地には友ダチが待っててくれるんだもんねー。

(註・このとき、友人がリヨンに語学留学していた)

発車したら、見渡す限りの田園風景(ほんとにそれだけ)で、
さすが小麦の自給率100%、と深くうなづいたのでした。

TGVのトイレから出てきたら、すごくかっこいいお兄さんが
順番待ちしていて、しかもドアを押さえたら
「Merci.」とかいってニコッと笑ってくれたりして、
なんかトクした気分だった。



● パリのMTV、メトロ6 ●

ニュースと天気予報とアニメとミュージックビデオをずーっとやってるチャンネル、メトロ6。
リヨンにいる友達のおうちで見た。
それでManau(マヌー)を知って、パリのヴァージンメガストアでCDを買ったんだけど、
笑ったのはMCソラー。名前からしてパチモンみたいだが、すごい人気らしい。
あとはねー、ローリン・ヒルもウィル・スミスもやってた。
ジョージ・マイケルのあやしいビデオクリップも見た。
フランスでも、音楽はアメリカのが流行ってるらしい。


追記:このブログに貼ろうと思ってyoutubeを探したら、ちゃんとありました!
マヌーのこの曲。このビデオクリップの中に収められている、宇宙飛行士がジャンプしてる映像…ずっと記憶の中にあったのですが、15年経ってまた見ることができて、ちょっと感動。



● あさごはんのBGM ●

あさごはんはいっつもホテルのレストランで食べてた。
バゲット、黄色っぽくて小さいパン・ド・ミール、クロワッサン、チョコレート入りパン(チョコデニッシュみたいの)、などなど。
ヨーグルト、ヨーグルト用リンゴジャム、ジャム、コーンフレーク、チーズ、ハム、マーガリン、
コーヒー、オレンジ・ジュース。

いっつも同じだったけど、おいしかった。
たぶんパンがおいしいからかも。
バゲットにハムをはさんで食べるのがほんとうまかったです。

おっと、BGMのハナシ。

スザンヌ。ヴェガの「ルカ」が流れててなつかしかったの。

・・・そんだけ。



追記:この「ルカ」という曲が児童虐待についての歌だということは知っていましたが、この頃はあまり深く考えませんでした。でも今になって改めて聴くと、本当に悲しい曲です。歌詞は重くて苦しいのに、メロディは軽やかで素敵な、このアンバランスさが、ますます哀しさを際立たせています。
この曲の舞台はニューヨークみたいですが、ニューヨークにもパリにも東京にも、きっとこうやって耐えている子どもがたくさんいるんだろうな、と思うとつらいです。この根っこの深い深い問題を、どうやって解決していけばいいのか…



● 世界コンビニ現象 ●

パリに行ったからって、日本と違うものが並んでる、なんて
思ってた私がバカでした。
東京にいるほうがスバヤクおしゃれなお店を見つけられたりする。
東京のほうがいい服を安く見つけられる。
そんなことのほうが今の世の中あたりまえになってしまいました。

だって、日本のバイヤーさんがお仕事でパリからいろいろ買ってくるんだもの、
吟味されたものがTokyoに並ぶから、すぐ見つけられるにきまってるのでした。

それでもいろいろ見てあるくのは、やっぱり空気までは東京に持ってこられないから。
旅行はそれがいいんだろうなあ。



● こまごましたこと、あれこれ ●

パリのデパート、ラファイエットのドーム天井がもんのすごーくきれいだったこと。

同じくパリのデパート、サマテリーヌは店員さんのユニフォームが自由みたいなんだけど、サマテリーヌのスカーフは全員つけることになってる。
つけかたは自由みたいで、みんなかわいかった。

追記:このパリの老舗デパート「サマテリーヌ」は経営が悪化して2005年に閉鎖、今はがらんとしたビルだけ残ってるようです。ルイ・ヴィトンによって2014年、新たに生まれ変わる予定だそう。
ブログ「パリの物語」より http://koumikami.exblog.jp/17033945

パリで見たマンガがものすごくアメリカナイズされていたこと。


● あのネーチャンのせいで…(怒) ●

「Marie & fils」(マリー・エ・フィス…マリーと息子)は雑誌「フィガロ」のレストランガイドにも出ていた。
たしかにオーナーのおばさん(マリーさん)はいい感じだったけど、あのお給仕のネーチャンが…
けっこう有名な店みたいだけどね。

オードブルは何かのムース。けっこうコテコテ。上にフォアグラがのってた。
(フォアグラって、アンキモに、似てるよね)
メインはさかなのムニエル。上に載せてあるのは網目に揚げたじゃがいも。
付け合わせは、ほーれんそうに茶色いソース。
デザートは、外がさっくり中がトロー、のチョコレートケーキ。うまかった…

何もかも美味しかったのに、あのネーチャンのせいで…(怒!)

追記:なんかやたらと怒ってますが、これはお給仕のお姉さんの態度がヒジョーに悪かったので怒っているのです(笑)
お店はすいているのに、一番寒い窓際のすきま風が入るような席に案内したりとか、やたらとツンケンしていたりとか、15年経っても憶えてるもんですね(爆)



   ★



旅行者っていうのは、必ず通りすぎていくひとたちであり、
旅行者にとってのパリは永遠に休暇の街でも、
パリで暮している人にとっては、それは、私の日本橋と変わらない街、なわけよね。
(註:この頃は日本橋に勤めていたから)

そう考えるとなんとなくさびしい気もします。

パリという街が、自分にとって「通りすぎない街」のほうがいいのかどうかは、難しいですが。

でも、もう1回行きたいなー。
もっといろいろ食べたかったなあー…
ケーキ、お惣菜、ワインも。
リヨンももうすこしいられるとよかったなあ。
オルセーも見たいし、
オペラ座の中も入ってみたいし、
朝市ものぞいてみたいし。
それと、心残りはメリーゴーランド。30歳になる前に乗りたい。
ゼッタイもう1度行く !!

パリに。



   ★



この後、2001年の秋にもう一度フランスへ行くことができましたが、メリーゴーランドは結局乗れずじまいでした(笑)
1998年には通貨がフランだったのに、2001年にはユーロに切り替わりつつあったりとか、どちらの旅でもブランドものは一切買わなかったりとか(爆)
こうやってブログにしてみると、次から次へといろんな思い出がどんどん浮かんできます。
カメラも、1998年にはもちろんデジカメなんか皆無で、2001年にはあったけれどまだ性能もよくなくて、もちろんiphoneでinstagramなんてありえへ~ん時代でした。 
フランスの写真はネガもとってあるし、プリントされたものもちゃんとポケットアルバムに入っているのですが、今回は敢えて文字だけでお届けしようかな、と思って画像を載せませんでした。

フランスというと、高校の修学旅行文集で、国語の先生が、生徒の集合写真にキャプションとしてつけていた、朔太郎のこの詩が思い浮かびます。(オシャレな先生だ!)

ふらんすへ行きたしと思へど ふらんすはあまりに遠し…

独身時代と比べると、私のふらんすはどんどん遠くなっていますが、またいつか近くなりますように。










2013年8月24日土曜日

15年前のフランス旅行 (4)


● どこにいるのかしら ●

パリへ行ったら子どもと犬をいっぱいカメラに収めよう!
とか思ってたんだけどー…

思っていたのと違って、パリにはガキンチョも赤ちゃんもあんまりいなかった。
犬もねぇ、なんかこう日本みたいにのびのびしてなくてねぇ
(日本のはときどきのびのびすぎるのかもしれないけど)、
そのわりに街中に平気でフンが落ちてたりするのがよくわかんないよねぇ。

パリの子どもって…どこにいるのかしら。
中学生とか高校生くらいのはけっこう見かけた。
ベルサイユに来てた小学生もいた。
でも赤ちゃんがねぇ、あんまり記憶にないねぇ。

リヨンで、飼い主らしき子どもたちと歩いてた大きな白犬は、なんかかわいかったなあ。

そーいやネコも見かけなかったな…



● ルーブルの朝 ●

ぴーかんのルーブル・中庭・ピラミッド前。

勢いよく吹き上げる噴水。
振り向くとナポレオンの凱旋門(4頭の馬乗り)

んーフランス!



● バトー・ムーシュの夜 ●

とにかく寒い。セーヌ川の夜。
薄すぎる自販機のトマトポタージュ(飲み干してみたら底に粉が沈んでいた…)を持ってしても
防げない寒さ。
でも私は寒いのけっこうスキなので
まだ出発前の人影まばらなデッキにでんと陣取って、綺麗なイルミイネーションのエッフェル塔を
ひとり眺めてました。

ひとりといえば、私の後ろの席に座っていた口ひげのおじさん
(たぶん口ひげのせいでおじさんぽく見えた)
は、どうしてひとりで夜の遊覧船に乗っていたのだろ?
笑い合うだけで、話さなかったから、どこの国の人かもわからなかったけど…
私がキレイキレイと大さわぎするのを、ニコニコ見ててくれたけれど。

バトー・ムーシュから降りるとき
手を振ったら笑ってくれたけど、
もう少し私に勇気と言葉があったら、ゆうごはんも一緒に食べたかったなァー。

でも、綺麗な夜景を見て、笑顔を交わすだけで

(たとえそうじゃないとしても、ね)心がちょっとかようような気がする…んですけど。


   ★


セーヌから見てかんどーーー、の第1位は

ミュゼ・ド・オルセー!

んもーきれい



● パリのかっこいい人 ●

・・・・・。

べつにそれほどでもない。
外人だからかっこいいとかは断じてない。
そんなのはどこの国もいっしょである。

でもね、どこの国もいっしょだと思うのは、笑ってくれる人とか
いっしょーけんめいな人とかは、かっこよく見えちゃうよね。

Bonjour! って言って笑ってくれるスーパーのレジのおねえさん、
パンやさんのおねえさん、
リヨンのバスの黒人の運転手さん、
ベルサイユのカフェのお兄さん、

逆にやっぱりコワイ人とかヤだよね。
ブラッスリーのマダムとか、レストランのおねーさんとか
(ほんと思い出すだけでムカついてくる)。

フランスの人は、イタリアの人よりか笑ってくれない。
ま、よくいうと愛想笑いしない。
悪くいうと、観光客ズレしているのか…?

やっぱり、フィレンツェのホテルのおじさまとか
ワインやのおじいちゃん、おばあちゃんみたいな、
あーゆうのなつかしいです。
一生懸命レストランまでの道順を教えてくれた
ホテルのフロントのおねえさんとか…

まあー日本人も笑わないか。
私すぐ笑っちゃうんだけど。
そーいうイミで、日本人とパリっ子は
似てるかもしれないぞ。

   ★

ルーブルで見かけた少年、
かっこよかった(*^_^*)



● アイスクリーム屋さんにて ●

小さな頃から持っている「暮しの手帖」の切り抜きを確かめたくて、
サン・ルイまで歩いてみました。
行きあたりばったりで歩いたので、見つからなかったらいいや、と思っていた
アイスクリームやさん「ベルティヨン」。

見つけたのです、偶然に。
真っ暗になってしまったサン・ルイの細い道に、あたたかい灯りをふりまいていた
そのお店なのですが…

待ってもまっても来てくれないの! カウンターに。
カウンターの中にはお店の人が4人くらいいたんだけど、
みんなそれぞれの仕事が終わるまでは、ゼーッタイにこっちに来てくれないのよ。
「ちょっとお待ちください」も言わないのよ。
「すみませんねぇー」とか。
日本だったらとっくに出てきてるところなんだろうけど、
さっきの「日本人は待たない!」というセリフを思い出し、
しんぼーづよく待つことかれこれ5~10分…
やっとオバチャンが来てくれました。

で、手に入れたペシェ(桃)のアイスクリーム。
アイスっつーかシャーベットなんだけどね。

うー…まあ、そこそこうまいっつーかんじ。
それほど「しあわせ~」ってほどでもないけど、
とりあえず目的を達成したのでまんぞく。
ま、それだけ日本にもおいしいアイスクリームがたくさん登場してしまってる って
ことなんだろうなあー…




15年前のフランス旅行 (3)


パリふれあい街歩き・・・・・みたいなアレコレ(笑)


● サントノレ通り ●

朝早くてあまり人通りもないし、お店も全然あいてないんだけど
なぜか記憶にあるのは、

絵葉書を買った文房具やさんに、友人がガイドブックを忘れたため、
同じ道を2回通ったからなのでした。



● 我らの婦人…ノートルダム ●

教会を見学すると思うけれど、一介の旅行者(しかも無宗教)がこういう場所に立つというのは、
教会を信仰の場としている人から見たら、どーいうかんじなんだろうか。
お寺や神社を観光にくる外国人が異分子にしか見えないように、
やっぱりあたしたちだって異分子なんじゃないかな なんて考えて、
私はせめてもと思い10Fのろうそくに火を灯してお祈りをしてみたのでした。

別な視点から見たら、それでもやっぱり日本みたいに単なる観光地と化しているのかな。
外国の教会を見ると、文化の違いを感じないわけにはいかないです。

午前中のバス観光は、ピーカンのほんといいお天気で、
ノートルダムの後ろの公園もさわやかで気分がすーっとしました。



● パリで入ったCafe ●

「カフェ」といえばパリ

パリといえば「カフェ」

もう 子どものころから、カフェっていうところを本で読んだりして、
バクゼンとしたユメを抱いていたわけです。

「パリへ行ったらカフェに行こう!」

で、パリは疲れたらカフェ、っていうのがけっこう自然にできる。

その理由。

(1) 三歩あるけばカフェ、というくらいカフェがいっぱーーーい街中にあるから
(2) 自販機がないから
(3) ただ飲むだけなら安いから

その他、もちろん観光客としていろいろのぞいてみたいって思うから、水分補給に対して、多少の散財もいとわないとかっていうのもあるんだけどね。

でもそれにしたって、
イタリアもそうだけど、なんとなくパリのカフェは入りやすい。
コーヒー1杯でさよーなら、ビールグラス1杯でさよーなら、っていうのはイイですね。
で、チェーン店のマニュアルくささがない。これがいちばんイイかんじの理由でしょうか。
入るたんびにいろんな雰囲気。楽しいです。

なんといっても思い出すのは
超高級ブティックばかり立ち並ぶ通りを一歩わきに入ったところ、あの「セリーヌ」のとなりにあったおせじにもオシャレじゃないカフェ。
あんまり疲れちゃって、ひとやすみしたいねって入ったんだけど、入るとき一瞬悩んじゃったの。
なんでかっていうと、カウンターにオジサンたちがごちゃごちゃたむろっているだけで、テーブル席にはほとんど人がいなかったから。
で、勇気出してドアを開けると、そのおじさまたちが振るサイコロの音が…
「わあーどーしよォー」って思ったんですけど、もうボンソワールとか言ってドア開けちゃったし…

でもよく見るとおじさまたちもニコニコして怖そうなかんじじゃないし、
カウンターの中からギャルソンのおじさまも出てきてくれてちょっと安心。

座ったテーブルは会社の会議用テーブルみたいな柄の、ま四角な、ちゃっちいテーブルで、
友人が「なんか落ち着くねぇ」と言ってました。くつろいじゃったのですよ、結局。
ギャルソンのおじさまがすごくいいひとで、友人の質問とかにもいっしょうけんめい答えていてかわいかった。

おじさんたちが仕事帰りとかに三々五々集まってきて、みんなでチンチロリンするのを楽しみにしてるみたいな、そういう雰囲気がよかった。
そこへ日本人の女の子が3人紛れ込んできちゃって、なんかヘンなんだけど、ニコニコしてくれるみたいな。

パリのカフェでいちばん思い出の場所です。


サンジェルマン・デ・プレのカフェでは、入るなり
「あっち」 とカフェのおやじは私にトイレの場所を教えてくれた。
なんでわかったのかしら…私がトイレを借りに入ったということが…
そんなにオシッコがまんしてる顔だったかなあ。

ちょうどお茶には中途半端な時間のせいなのか、もともと広いお店のせいなのか、
外のテラスにも店内にも人影はまばらでした。
カウンターの中はピカピカにみがかれていて、お店の人の働きぶりがわかるかんじ。

私は「Un cafe,s'il vous plait.」 と言ってカウンターでエスプレッソを頼んだのですが、これがめちゃくちゃおいしかった。いい味でした。
隣のお兄さんは誰かと待ち合わせっぽいかんじでビールを飲んでました。たしかケータイで話してたからそう見えたのかな?

閑散としたカフェの雰囲気と、雨のふる表通りの雰囲気と、なんとなく体が憶えています。
ちょっともの淋しいけど居心地がいい。
うまくチップが渡せずに、おつりをもらうハメになってしまったのが心残りです。


ベルサイユ宮殿の地下のカフェ。
ショコラを頼んだのが、おいしーい! んだけど甘いです。すごく。
なのにまだ砂糖がついてくるので
「フランス人はこれにまだ砂糖を入れるんだろうか…」
と友人と二人、悩んでしまった。


それから、毎朝あさごはん食べてたホテルのレストランに置いてあった袋入りショコラ。
日本へ持って帰ってきて飲んだら、すんごくおいしかったです。


どこのカフェでもほとんどビールばかり飲んでいたわたし…
生ビール、座って飲んでもだいたい10~11F(250円くらい)。
セリーヌの隣のカフェのおじさんは、ビール頼んだらピーナッツを出してくれた。
うれしかった。





15年前のフランス旅行 (2)


1998年11月2日

曇り空のParisへ上陸。
なんだかヘンな現地ガイドのおじさん
(日本人。26年間パリにいるらしい。実家はつい最近両親が引っ越したという鶴巻温泉。
先日帰国した際、大和のユザワヤでサイフを購入したと言っていた)
が、3分に1回の割合で口にする

「メトロ14号線」

(註・この頃新しくできたばかりだった)

が頭を離れないままに 、宿泊先のホテルアイビス(ibis)バニョレへ到着しました。

早速、ゆうごはんを仕入れにすぐそばのスーパーマーケット「オーシャン」へ行ったのですが、
あまりの巨大な施設にびっくり。
何を買っていいのかわからなくなってしまうくらいです。
友人2人ともおなかがすいてないとのことだったので
私も簡単に洋梨とボルヴィックレモン風味(目ざとく日本にはないものを見つける。きいろいキャップがかわいい)、それにパンやさんでタルトをひときれ買って帰りました。
これはどうもカスタードのタルトみたいなんだ。すごくソボクな味でした。家でつくったみたいでした。

(註・この頃はまだ日本でボルヴィックレモン味は未発売でした)

ホテルはメトロの3号線(メトロ地図だとオリーブグリーンのライン)の終点で、Gallireni(ガリレニ)という駅で降りてすぐのところにあるビジネスホテル。
町は、典型的郊外のベッドタウンといった雰囲気。
バスのロータリーがあって、朝は通勤・通学のたくさんの人たちが乗って行くのを見ました。
パリへ出るときはGallireniから乗ってOperaで降りるのですけど、感覚的には海老名から横浜へ出るような、そんな感じです。


● パリのひとびと ●

フランス人は…というべきか、パリのひとは…というべきか、
みんな観光客に対して「フランスゴをわからないほうがオカシイ」みたいなココロでいるようです。
イタリアへ旅行したときは、わからないこっちの困った顔を見て、なんとかしてあげなきゃね、ってみんないっしょうけんめいいろいろやってくれたけど、パリのひとは
「むっ おまえわかんないのか おりゃーしんせつにしてやんねーぞ」
っていうわりとエラソーな態度の人が多かったように思う。




2013年8月23日金曜日

15年前のフランス旅行 (1)


げげっ!
前回のブログ更新から1ヶ月も経ってる~!
信じられなーい(爆)

夏…夏は紙モノをコネコネするのにほんとに不適当な季節ですね。

我が家は寝室にしかエアコンがないので、リビングでクロップしたりカードメイキングしたりってことが本当に辛いのです(苦笑)

いろいろ作らなくてはならないものがあるのですが、作業に向かえない環境でアイディアが湧くはずもなく…しかも秋と冬のカードなんてハードル高すぎ(涙)

と、グチはそれくらいにして

今日、ダンナから「紙ゴミの山を片付けろ!」という指令が出てしまいました。
いえ、私にとってはゴミじゃないんですけど…
と、言ってもしょうがないので、思い切ってバッサバッサとお片づけをしていたんですが、

その山のなかから、15年前に行ったフランス旅行のレポートが出てきました。

15年前というと、1998年です。
まだ20世紀だよ(笑)

就職してから初めて長い休みを頂き、友人と3人で出かけたフランス。
メモ帳には、コーフンと喜びと楽しさがぎっしり詰まっていました。

このまま捨ててしまうのもしのびないので、自分の記録ということでザックリとブログに残しておこうと思い立ちました。
基本的に、昔も今も考えてることはまったく変わらないんですが、やはり15年前のワタシには多少若さがあるような気がします(爆)

それではお楽しみ?ください(笑)

 


  ★  ★  ★




フランスか・・・

最初にフランスへ行ってみたい とか
フランスという国について考えたのはいつだったかな。
今田美奈子のお菓子の本かな。
パリブレスト、ガロット・デ・ロア、ミルクレープ

それから暮らしの手帖だな。
列車の旅、パリの街角のクレープ
あとパリのレストランの記事。
何回も何回も読んだから、写真が目に浮かんでくる。
そしてパリの小学校の記事。
子どもたちは並んでいるつもりなんだろうけど…っていう
キャプションのついた写真には、たしかにてんでバラバラに
かたまっている女の子たちがいた。
それを見たとき、それを許してくれるらしい
パリっていうところが面白いな、日本とは違うのかな、
って思ったような気がする。

そうしていちばん強い印象なのは、
やっぱり森村桂のパリ行きの本。
ここに書いてあること、いつか自分の目でたしかめるって思った。
それから15年近くたって、それがついに実現するんだなあって思う。
自分のかせいだお金で行くんだなあって思う。

外国へ行くのは2度めだけど
観光客は観光客でしかあり得ないわけだから
思いっきり、観光客してこようかと思っている。
観光旅行というのは、なんだろう、例えれば合コンに似てるだろうか。
パッと見でおわっちゃうから、ほとんど相手のことわからないし
ほぼ第一印象だけなんだけれど、
それでも「また会いたい」と思うか「…もういい」と思うか
違ってくるし。

働きはじめてからとる1週間の旅行っていうのは
とにかくなんか
ほんとに日常からの脱出ってかんじがするなあ。

いろんなこと忘れて、何もないあたしで
1週間ぼーっとしてこようと思っている。
ぜんぶね。
仕事も会社も、好きな男の子も。

おとうさんおかあさん、おこづかいありがとう。
自分が働きはじめてから(両親に)もらうお金っていうのは、
なんかすごく大きいものに感じます。


北海道のおばさんからもらった「プチ・ニコラ」
美術の教科書の佐伯祐三

朔太郎の、ヴェルレーヌの、ヴォードレールの、
みんながうたったフランスへ。