● リヨンまでひとり旅 ●
駅っていうところは、なんというか…
自分のコトバ(つまり日本語ってこと)を持ってしても時に不安な場所と思うのですが、
それが通じないしゃべれない のフランス語で、スリ多発地帯とくればもう
「あたし倒れちゃうかも」
というくらいにキンチョーでドキンドキンの心臓、ふるえるひざ。
でありました。ホントに。
映画「ニキータ」のロケ地のひとつ、
レストラン「ル・トラン・ブルー」を外から眺める。
中を覗きたかったです。
そんなわけで、ガル・ド・リヨン(リヨン駅…といってもパリにあるんですよ)
から始まった、私のリヨン “まで” ひとり旅。
いつかやってみたいと思っていたヨーロッパ列車の旅。
しかも目的地には友ダチが待っててくれるんだもんねー。
(註・このとき、友人がリヨンに語学留学していた)
発車したら、見渡す限りの田園風景(ほんとにそれだけ)で、
さすが小麦の自給率100%、と深くうなづいたのでした。
TGVのトイレから出てきたら、すごくかっこいいお兄さんが
順番待ちしていて、しかもドアを押さえたら
「Merci.」とかいってニコッと笑ってくれたりして、
なんかトクした気分だった。
● パリのMTV、メトロ6 ●
ニュースと天気予報とアニメとミュージックビデオをずーっとやってるチャンネル、メトロ6。
リヨンにいる友達のおうちで見た。
それでManau(マヌー)を知って、パリのヴァージンメガストアでCDを買ったんだけど、
笑ったのはMCソラー。名前からしてパチモンみたいだが、すごい人気らしい。
あとはねー、ローリン・ヒルもウィル・スミスもやってた。
ジョージ・マイケルのあやしいビデオクリップも見た。
フランスでも、音楽はアメリカのが流行ってるらしい。
追記:このブログに貼ろうと思ってyoutubeを探したら、ちゃんとありました!
マヌーのこの曲。このビデオクリップの中に収められている、宇宙飛行士がジャンプしてる映像…ずっと記憶の中にあったのですが、15年経ってまた見ることができて、ちょっと感動。
● あさごはんのBGM ●
あさごはんはいっつもホテルのレストランで食べてた。
バゲット、黄色っぽくて小さいパン・ド・ミール、クロワッサン、チョコレート入りパン(チョコデニッシュみたいの)、などなど。
ヨーグルト、ヨーグルト用リンゴジャム、ジャム、コーンフレーク、チーズ、ハム、マーガリン、
コーヒー、オレンジ・ジュース。
いっつも同じだったけど、おいしかった。
たぶんパンがおいしいからかも。
バゲットにハムをはさんで食べるのがほんとうまかったです。
おっと、BGMのハナシ。
スザンヌ。ヴェガの「ルカ」が流れててなつかしかったの。
・・・そんだけ。
追記:この「ルカ」という曲が児童虐待についての歌だということは知っていましたが、この頃はあまり深く考えませんでした。でも今になって改めて聴くと、本当に悲しい曲です。歌詞は重くて苦しいのに、メロディは軽やかで素敵な、このアンバランスさが、ますます哀しさを際立たせています。
この曲の舞台はニューヨークみたいですが、ニューヨークにもパリにも東京にも、きっとこうやって耐えている子どもがたくさんいるんだろうな、と思うとつらいです。この根っこの深い深い問題を、どうやって解決していけばいいのか…
● 世界コンビニ現象 ●
パリに行ったからって、日本と違うものが並んでる、なんて
思ってた私がバカでした。
東京にいるほうがスバヤクおしゃれなお店を見つけられたりする。
東京のほうがいい服を安く見つけられる。
そんなことのほうが今の世の中あたりまえになってしまいました。
だって、日本のバイヤーさんがお仕事でパリからいろいろ買ってくるんだもの、
吟味されたものがTokyoに並ぶから、すぐ見つけられるにきまってるのでした。
それでもいろいろ見てあるくのは、やっぱり空気までは東京に持ってこられないから。
旅行はそれがいいんだろうなあ。
● こまごましたこと、あれこれ ●
パリのデパート、ラファイエットのドーム天井がもんのすごーくきれいだったこと。
同じくパリのデパート、サマテリーヌは店員さんのユニフォームが自由みたいなんだけど、サマテリーヌのスカーフは全員つけることになってる。
つけかたは自由みたいで、みんなかわいかった。
追記:このパリの老舗デパート「サマテリーヌ」は経営が悪化して2005年に閉鎖、今はがらんとしたビルだけ残ってるようです。ルイ・ヴィトンによって2014年、新たに生まれ変わる予定だそう。
ブログ「パリの物語」より http://koumikami.exblog.jp/17033945
パリで見たマンガがものすごくアメリカナイズされていたこと。
● あのネーチャンのせいで…(怒) ●
「Marie & fils」(マリー・エ・フィス…マリーと息子)は雑誌「フィガロ」のレストランガイドにも出ていた。
たしかにオーナーのおばさん(マリーさん)はいい感じだったけど、あのお給仕のネーチャンが…
けっこう有名な店みたいだけどね。
オードブルは何かのムース。けっこうコテコテ。上にフォアグラがのってた。
(フォアグラって、アンキモに、似てるよね)
メインはさかなのムニエル。上に載せてあるのは網目に揚げたじゃがいも。
付け合わせは、ほーれんそうに茶色いソース。
デザートは、外がさっくり中がトロー、のチョコレートケーキ。うまかった…
何もかも美味しかったのに、あのネーチャンのせいで…(怒!)
追記:なんかやたらと怒ってますが、これはお給仕のお姉さんの態度がヒジョーに悪かったので怒っているのです(笑)
お店はすいているのに、一番寒い窓際のすきま風が入るような席に案内したりとか、やたらとツンケンしていたりとか、15年経っても憶えてるもんですね(爆)
★
旅行者っていうのは、必ず通りすぎていくひとたちであり、
旅行者にとってのパリは永遠に休暇の街でも、
パリで暮している人にとっては、それは、私の日本橋と変わらない街、なわけよね。
(註:この頃は日本橋に勤めていたから)
そう考えるとなんとなくさびしい気もします。
パリという街が、自分にとって「通りすぎない街」のほうがいいのかどうかは、難しいですが。
でも、もう1回行きたいなー。
もっといろいろ食べたかったなあー…
ケーキ、お惣菜、ワインも。
リヨンももうすこしいられるとよかったなあ。
オルセーも見たいし、
オペラ座の中も入ってみたいし、
朝市ものぞいてみたいし。
それと、心残りはメリーゴーランド。30歳になる前に乗りたい。
ゼッタイもう1度行く !!
パリに。
★
この後、2001年の秋にもう一度フランスへ行くことができましたが、メリーゴーランドは結局乗れずじまいでした(笑)
1998年には通貨がフランだったのに、2001年にはユーロに切り替わりつつあったりとか、どちらの旅でもブランドものは一切買わなかったりとか(爆)
こうやってブログにしてみると、次から次へといろんな思い出がどんどん浮かんできます。
カメラも、1998年にはもちろんデジカメなんか皆無で、2001年にはあったけれどまだ性能もよくなくて、もちろんiphoneでinstagramなんてありえへ~ん時代でした。
フランスの写真はネガもとってあるし、プリントされたものもちゃんとポケットアルバムに入っているのですが、今回は敢えて文字だけでお届けしようかな、と思って画像を載せませんでした。
フランスというと、高校の修学旅行文集で、国語の先生が、生徒の集合写真にキャプションとしてつけていた、朔太郎のこの詩が思い浮かびます。(オシャレな先生だ!)
ふらんすへ行きたしと思へど ふらんすはあまりに遠し…
独身時代と比べると、私のふらんすはどんどん遠くなっていますが、またいつか近くなりますように。